校納金の集金業務を代行する「学校PAY®」を開発 学校DX・働き方改革に一石を投じる株式会社SA-GA代表取締役 森山裕鷹さん
先生の負担を軽減したい
学校の膨大な事務作業量を削減して、先生たちの負担を軽減したい――。佐賀大学発ベンチャー、株式会社SA―GAの森山裕鷹代表取締役CEO(27)は、給食費や教材費など(校納金)の徴収業務を一括代行する「学校PAY®」を開発し、県内の公立校を中心に普及を図っている。佐賀県のスタートアップ支援を受けるITエンジニアの森山さん。事業内容や今後の展望を聞いた。
記事:徳永敬(株式会社毎日みらい創造ラボ)
――「学校PAY」はどんなシステムですか?
森山さん 学校が保護者から集める学校徴収金を「スマートに集金する」サービスです。一昔前まで、校納金は現金で徴収されていましたが、今は口座引き落としでの徴収も増えてきています。このお金の流れには「学校」「金融機関」「保護者」の三者が登場しますが、学校PAYはその三者の間に入って、集金業務を代行します。
一般的に、学校は毎月、金融機関のフォーマットに沿った口座振替の請求データを作成して、スケジュール通りに金融機関に送る必要がありますが、各家庭が利用する金融機関はさまざまです。このため、学校がデータを送る先も複数になって、作業量もかさみます。一方で、ほとんどの公立校の事務職員(事務の先生)は1人か、2人。担任クラスを持つ教員が分担する学校もあります。文部科学省は「収金会計業務の負担から教員を解放する」としていますが、そうすると、事務職員に業務が一極集中しますし、教員が作業し続けている学校もあり、一足飛びにはいきません。
校納金は、年度当初に、月ごとの徴収額が決められますので、その後、データを学校PAYに取り込めば、あとは全て自動的に振替されるようにしました。未納があった場合の対応もシステムで自動化されるので、学校で未納状況を一つ一つチェック・管理して、文書を作成する手間も省けます。
©SA-GA
先生の時間は児童・生徒に
――利用状況はどうですか?
森山さん 2021年2月に提供をはじめ、既に佐賀県内1市2町で利用され、今秋には武雄市と、福岡県桂川町でも採用される予定です。ほかにも、自治体ごとではなく単独で導入している学校もあり、県内での利用は50校に上ります。1年半後には、県内でのシェア52%に達する計画です。
――教員の長時間労働、ひいては教員志望者減による人手不足、待遇改善など、教育現場の課題解決が叫ばれています。学校PAYの効果はどうでしょうか?
森山さん とある自治体での調査によると、校納金に関連する業務全体での事務量は56.5%削減されました。集金業務に限れば、76.6%削減されたといいます。集金業務にかかる事務量は、全体の61.9%を占めており、特に負担が大きい業務です。
先生から「助かっています」という喜びの声も聞きました。営業にリソースを割けない中、口コミで知った先生や学校からの問い合わせもあり、ありがたいです。ある学校で使っていた先生が、異動先の学校で導入を提言してくださった例もあります。
最近は「自分事」としてもとらえるようになりました。将来、5、6年先に自分の子供が学校に通うようになったとき、先生が事務作業に忙殺される学校ではなく、本来の業務に集中して、より多くの時間、児童生徒にかかわってくれる学校に通わせたいと思います。
【ITエンジニアの森山さん。地元企業から製造ライン上で商品が汚損していないか画像でチェックするシステムの受託開発も】
――会社のHPに「ブロックチェーンやディープラーニングなどの最新技術を用いた共同開発/委託開発を請け負う会社」とあります。そもそも学校PAYを開発するきっかけは何だったのでしょうか?
森山さん もともとは、ITエンジニアとして、ブロックチェーンやAI画像処理に関心があり、いろいろなご縁で学内起業(18年)しました。地元企業から製造ライン上で商品が汚損していないか画像でチェックするシステムを受託開発したり、老人ホームでの監視カメラによる「高齢者見守りシステム」(徘徊者探知装置)を作ったりしていました。実はその延長線で、学校PAYが生まれたのです。
学校内に設置された監視カメラを、子供たちの安全を守るためにもっと活用できないか――と、学校に見学にいったところ、先生から「カメラより、もっと困ったことがあるんです……」と、悲鳴にも似た相談を受けたのがきっかけでした。
――学校PAYについて、今後の展望を聞かせてください。
森山さん 今は、学内のシステムが中心ですが、保護者の利便性向上のため、マイページやスマホアプリ(「学校PAY保護者アプリ」)で口座振替予定の通知や、未納金をスマホ決済やコンビニで支払えるようなシステムを提供できるよう準備しています。
まずは「佐賀モデル」を確立し、将来的には、協業会社や支援企業を広く募って、全国展開する考えです。
今、ここに課題があるから――
「佐賀モデル」を確立し、全国展開へ
――佐賀へのこだわりはありますか?
森山さん「佐賀大学発ベンチャー」の認定(21年12月)を受けているということもあり、現在は佐賀を拠点にしていますが、「今、ここ(佐賀)に課題があるから」という思いも強くあります。東京や福岡での起業も考えなかったわけではありません。ただ、都会の学校は予算も人も潤沢だと思いますが、地方ではそうはいきません。まずは「佐賀モデル」を確立して、全国展開を目指したいと思っています。
【佐賀大学発ベンチャーの認定を受けた森山さん(右)】
<森山さんは佐賀県のスタートアップ支援を受けている。19年7月、佐賀県やわらかBiz提案公募実証事業費補助金に採択され、23年4月から関係企業などとのつながりを構築するStartup Connect SAGAに▽24年4月からPR・広報などを学ぶStartup Promote+ SAGAに参加している。>
これでもかというほどのコミット
大勢の中に埋もれない環境に感謝
――県の支援についてはどう感じておられますか?
森山さん とても手厚いです。19年に「やわらかBiz」で補助金を受けた後も、たくさんの指導や助言を受けています。東京や福岡と比べて起業家(社)の母数が少ないということもあってか、一人ひとりにじっくり時間をかけてコミットしてもらっています。大勢の中に「埋もれない」、居心地がいい環境があります。
私はもともと引っ込み思案の性格ですが、担当者の方からこれでもかというほど、昼夜問わずメッセージアプリ(メッセンジャー)を使ったやりとりがあり、「決して一人にしない」という思いを強く感じますし、ありがたく思っています。
昨年度はStartup Connect SAGAと投資家の海老根智仁さんから直接ビジネスをブラシュアップしていただく「エビチャレSpecial」に参加しましたが、経営判断を巡っていろいろな意思決定が必要な時期で、助けられました。皆さんからは「こうしなさい」と言われたことはなく、決定の後押しを受けた感覚です。精神的に強烈に支えてもらいました。テクニカルな部分も細かく教えていただき、もし、そういうことがなかったら、孤独だったと思います。
ただ、最初は、判断について「誰か正解を教えてほしい」と思っていましたが、さまざまな人の話を聞いていると、真逆の意見もあって、「何が正しいんだろう」と。やはり最後は自分でしか決められない、自分がやるしかないと分かりました。そういう1年でした。
森山裕鷹さんプロフィール
1996年、福岡県春日市生まれ。2019年佐賀大理工学部卒業。21年、同大学院修士課程修了、現在、博士課程休学中。ITエンジニア。大学4年生時(18年)にSA-GA社設立、代表取締役に就任した。
企業概要
事業内容:学校PAYなどの決済システム開発のほか、画像解析/各種人工知能/最適化アルゴリズムの開発・応用などの共同開発・受託開発
本社所在地:佐賀市本庄町1 佐賀大学理工学部7号館308室
設立:2018年9月
資本金:300万円
従業員数:3人+アルバイト数人
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佐賀県が取り組むスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」。数々のスタートアップが誕生し、ビジネスコンテストで入賞するなど輝かしい成果を出している。なぜ人口が少なくIT産業が集積しているわけでもない佐賀から起業家が生まれているのか。その謎を探ろうと他の自治体からの視察も絶えない。佐賀のスタートアップ支援の魅力と独自のやり方について、支援プログラムの立ち上げに関わり、伴走支援の先頭に立つ佐賀県産業労働部の北村和人産業DX・スタートアップ総括監とプログラムの卒業生ら4人に話を聞いた。 座談会参加者(五十音順) フラワー教室Noutje(ノーチェ)主宰 實松千晶さん 株式会社Retocos代表取締役 三田かおりさん 株式会社SA-GA代表取締役社長 森山裕鷹さん 合同会社Light gear代表 山本卓さん (聞き手・株式会社毎日みらい創造ラボ 高塚保) 左から山本さん、實松さん、北村さん、三田さん、森山さん 技術は道具 困っている人に提供して初めて価値が生まれる ――まず4人に起業のきっかけからお聞きしましょう。 山本卓さん 佐賀県で地域おこし協力隊をやっている時に、定住したいという気持ちが出てきたことがきっかけです。就職するか、起業するかと悩んでいたのですが、周囲から「そろそろ起業してもらえないか」と言われて、よく分からないままに起業したという感じです(笑)。もともとテレビ局でディレクターをやっており、映像制作の相談を受けることもありましたし。 ――不安だったのでは。 山本さん 勢いで起業した面が強かったので、不安はなかったです。だから、今が逆に不安が多いというか(笑)。生活どうしようとか、どうやって売り上げを伸ばそうかとかですね。起業から1年ぐらいたって不安が出てきました。 實松千晶さん 花の仕事を15年ぐらいしていて、自宅でレッスンをスタートしました。少しずつ生徒さんが増えていったことで、7年前に開業届を出しました。「税金を納めます」という宣言ですね。開業しましたが、今はまだ個人事業主で細々とやっているという感じです(笑)。 三田かおりさん 前職はJCC(ジャパンコスメティックセンター)という一般社団法人に勤めていました。期間限定の仕事だったので、そこからNPOを立ち上げて、自分の事業をやろうと取り組んでいました。そんな中で、Startup Gateway SAGA(佐賀県の6本のスタートアップ向けアクセラレーションプログラムの一つで、事業創出をテーマにしたもの)に採択され、NPOにとどまらず、株式会社も設立すべきだと考えが変わりました。何が目的かを問われたことが大きかったです。NPOは環境保全や、みんなのために立ち上げた事業でした。しかし、それだけだとお金が稼げないし、補助金頼みになってしまいそうでした。私が拠点にしている高島(唐津市の離島)の課題解決を考えたときに、島の経済を活性化し、地域社会を再構築しないといけない、そのためには一過性の特産品やイベントじゃ限界があるので「産業」を作らないと、と考え、株式会社を設立しました。 森山裕鷹さん 私は佐賀大学に籍があるのですが、起業したのは5年前です。2023年9月に丸5年を迎えました。学部4年生の時に会社を作りましたが、きっかけは、その年の4月に研究室に配属され、環境が大きく変わり、外部とのつながりが増えたことがあります。夜も寝ずに研究に取り組み、最初の半年、4本の特許を出すといったようにとにかく技術にのめり込んでいました。そんなある時、「外部の方から仕事を受けられそうだ」という話が研究室にあって、「会社があれば先を見据えた連携もできるのではないか」と思いました。当時は人工知能による画像認識をやっていましたが、僕自身が「ブロックチェーンを事業化したい」という思いがあったので、そういう流れの中で会社を作り、仕事を受けてみようと考えたのが最初です。山本さんもさっき言っていましたが、思いついてから2カ月ぐらいで、あまり考えずに箱ができたみたいな感じでした。ですので、今の方が圧倒的に不安で、夜眠れるかなというぐらい不安な中でやっています(笑)。 山本さん 本当にそうですよね(笑)。 森山さん 楽しいですけどね、不安も多いと。 ――起業したときは何をやる会社だったのですか。 森山さん 主に僕が開発したものを佐賀県内の工場や事業所に納品していました。最初に話があったのは徘徊している老人を探すプロジェクトで、人工知能を使った画像解析エンジンをつくることでした。対象となる徘徊している老人の服装、特徴を学習して、監視カメラの画像からその人が画像の中にいたら自動で識別して探すことができるというエンジンを街中に配置し、カメラにその人が映ったら知らせる。老人の画像を配って探すとなると個人情報に触れることになりますが、エンジンとかシステムであれば個人情報を守りながら人を探すことができるのではないか、と。これは技術提供で終わりました。 ――事業をすることの楽しさ、やって良かったことは。 森山さん 課題解決に楽しさを感じています。情報技術が武器で、提供できるもの。でも、その技術は道具でしかなく、困っている人に提供できて初めて価値が生まれるんです。その楽しさを味わえていると思います。今、小中学校に情報システムサービスを提供していまして、これは小中学校が保護者から集める給食費、教材費を代わりに集め、納入業者との間での決済まで自動で行います。これによって先生たちの事務負担が6割ぐらい軽減されました。 ――なぜ今の事業を始めようと。 森山さん 4年前になりますが、画像認識AIを商品にして売っていこうとある時、学校に行ったんです。学校の事務室では監視カメラの映像が見れますが、設置されているだけでは意味がないですから。転倒した子どもがいるとか、具合悪そうにかがんでいる子どもがいるとか、それを自動で分かるようにしませんかという提案に行ったんです。でも、その時に「それも悪くないけど、集金に困っているんです」と言われました。集金の管理ですね。しっかりしたシステムを作ってくれたら使いたいと言われ、しばらくして持って行ったのがきっかけでした。 「なぜ事業をやるのか」何度も問われ、考えた ――三田さんは今、どのような事業を展開しているのですか? 三田さん これまでは島の自然を生かしたオーガニックの原料供給が中心でしたが、最近、 プライベートブランドを立ち上げました。原料を栽培する土を作るところからやって、そこから最終製品のお茶や化粧品などまで作れるようになったんです。使ってくれる人も増えてきて、商品を出すことでエンドユーザーとつながることができ、エンドユーザーがくつろげる時間を作ったり、健康を支えたりということに関与できるのが面白いなと感じています。これまでは島の原料の訴求をして、原料を会社に買ってもらっていましたが、ようやく自分の商品を出すことができ、受け入れていただいているのがうれしいですね。次はコミュニティをつくるところを目指して活動していきたいなと。 ――コミュニティですか? 三田さん きちんとした言葉で言うと「関係人口を増やす」ということでしょうか。商品に触れることを通じて高島に来てもらったり、環境に関心を持ってもらったりしたい、ということですね。最初は本物のオーガニックコスメを作ると思っていたのですが…… 北村和人さん 普通の人はビジョンやWhyから入ります。森山さんのさっきの話にもWhyがありましたね。なぜ、それを始めたかのか。学校現場で困っている人を助けたいからだと。 三田さんはないんですよ。ただ、ない中で、原料供給で勝とうとやってきたが、プライベートブランドを作りエンドユーザーに触れたことで、自分の世界観が広がり、ここから自分の価値を伝えていけると思ったのだと感じます 三田さん ちょっと違います(一同笑)。最初は原料供給でいこうと思っていましたが、それではNPOの時と同じで、それだけで終わってしまう。県の事業に採択され、「なぜ事業をやるのか?」を何度も問われ、考えさせられました。その結果、事業を大きくするという観点からしたら「自分の商品を作り、エンドユーザーに届ける方が市場も確立できる」と考えるようになったんです。 山本 すごい! 北村 起業家っぽくなりましたね! 三田 ようやくですよ(笑)。今は旅館のアメニティーで、オーガニックのシャンプー、コンディショナー、ボディソープを作っています。他にお茶、ハーブティーもやっており、お香も出します。日本のアメニティーブランドで、オーガニックで香りが良くて、という商品がなかなかなくて、市場もまだはっきりとはできてないんです。だからって、無名の私が作っても誰も買わないじゃないですか。すると、まずは触れてもらうのがいいと思っていまして、「だったら旅館やホテルに置いてもらおう!」と考えました。クオリティーには自信があるので、使ってもらえたら買ってもらえるだろうと。 ――米国に行った際に驚いたのは、量販店のスーパーでも、シャンプーなどはオーガニックの品揃えの方が多かったです。日本ではまだまだですよね。 三田 市場があまり開拓されていないんですよ。 北村 そこに三田さんがチャレンジするんですよね! 三田 そうです!(笑)なぜオーガニックが良いのかを掘り下げたい、消費者に問いたいですね。 北村 オーガニックであるのが普通だと。 ――私はケミカルのシャンプーを使うと、頭皮が痒くなります。 三田 そんな方に朗報なんです!肌が弱い方に安心して使っていただけるというのもあります。でも、肌が弱いからオーガニックがいいですよね、というのも少し違うんですよ。本当に自分の肌に合うもの、オーガニックだから良いではなく、合うものを使って欲しいなと思います。 自分のミッションを追求し 文化をもっと広げたい ――實松さんはなぜ花を? 實松さん オランダの生花店でアルバイトをしたのがきっかけで、お花を始めました。ただ、今は生花ではなく、アーティフィシャルフラワー(造花)やドライフラワーを使っています。私はこちらにすごく可能性を感じていて、枯れることがないので、例えばふるさと納税の返礼品や、商業施設の空間装飾にも需要があります。造花のクオリティーが上がっているからこそ、さらに仏花などいろいろな可能性があると思っています。県のアクセラレーションプログラムは三田さんと同期でした。「このままだとお花のレッスンだけやって終わってしまう」と感じていて、「チャレンジしたい」、「いろいろなつながりを持ちたい」というのをきっかけに、県のプログラムに応募しました。 北村さん 自分の世界を広げたいということですよね。 實松さん オーストラリアを1年間ヒッチハイクで回ってきました。肌は真っ黒で裸足で生活していました。オーストラリア人は結構、裸足なんです。安宿にずっと泊まってですね。その時にチャレンジ精神とか、自分なりのミッションとかビジョンを追い続けるということを身につけたと思っています。 ――今、どんなミッション、ビジョンを持っているのですか。 實松さん 造花は安いと思われています。クオリティーは凄く高いのに、「造花でしょ?」と言われてしまっています。でも、本物と見まがうような造花もあるし、そういうのを見てもらうきっかけをつくり、もっと広げたいです。造花をうまく使いこなして、日常に花がある生活とか、文化を根付かせたいんです。 何もないから何にでもなれる冒険する企業 ――山本さんの仕事も説明してもらえますか? 山本さん もともとは映像制作です。事業としては映像制作のほかに、「音無てらす」というコワーキングスペース、キャンプ場運営の3本柱です。さらに他にもコンサルティング、よろず支援拠点、農村ビジネス支援などにも広がっています。「写真を撮りに行って思い出を残す会」というのもやっていて、この間はおじいちゃん、おばあちゃんと写真を撮りに行きました。あとは、「未確認生物を探すプロジェクト」もやっています。地域の方とプロジェクトを立ち上げるイベンターのようなことかもしれません。音無てらすは、皆さんがチャレンジしたいことを形にする場なので、伴走支援のようなこともしています。「山本っ て何やっている人?」と言われるように、仕向けているところもあります。もともとは大阪で役者をやっていました。そのきっかけも、引っ込み思案で人と話せなかったので、「どうにかして他人と話せる人に変わりたかった」ということだったんです。事務所に飛び込み、舞台に出てみたら、「荒療治」みたいになって治るんじゃないかなと。高校卒業と同時に役者の事務所も卒業して就職したのですが、みんながテレビに出ているのを見て悔しくなり、会社を辞めて役者の道に入りました。関西ローカルでCM、ドラマ、ラジオに出させてもらい、東京にも出ました。今も当時のそういったものに共通するところがあって、起業したのも、「山本卓という人間を周りが面白がってくれるのは何だろうか」と。幼なじみには「あんなにしゃべられへんかったやつが起業した」というだけで面白がられる、だからやってみようとか。映像制作もただ撮影するだけでは面白くないので、テレビ局でディレクターをやっていた経験を生かして、ディレクションを一緒にやって面白くしていきたいなと。なので、いろんなことをやっています。北村さんには「1個に絞れ」と言われるんですが。 北村さん 全部ひっくるめて1個ということで諦めました(笑)。 山本さん 未確認生物・冒険・研究所というのを子どもたちとやっているのですが、その子どもたちは僕がディレクターをやっているなんてことは全く知らなくて、彼らにとって僕は「隊長」なんです。「隊長、こんな生物いました!」とかね(笑)。場所によって肩書は変えていいと思っていて、ただ、1個1個の仕事にはちゃんと集中しないといけません。 ――ミッションとかビジョンはあるんですか? 山本さん 冒険する企業。何でもチャレンジしている。未開拓の地に行くみたいな。 北村さん 「暴走」がいいよ(笑) 三田さん 「暴走する企業」がいい!(笑) 山本さん 「自分自身って何だろう?」と考えたときに、「ほんまに何もない人間だな」と。無だなと思った時に、仏教の方から「人はトンネルみたいなもの」と聞きました。トンネルは何もない空間、入り口から出口までの空間をトンネルというんですね。人は山を掘り、コンクリートで固めたものをトンネルといいますが、本来は空間だと。周りがイメージとして決めているだけで、それに今の人は左右されすぎていると。もっとシンプルに何もない空間みたいなもので、何にでもなれる、肩書もいろいろあるからそれでいいんじゃないといわれてからすごく楽になりましたね。無というのがスッと自分で、音無という名前も地名から取りましたが、今は自分を形にしてもらえた名前だなと思います。 旗を揚げれば面白い人は集まってくる ――北村さん、なぜそもそもスタートアップ支援事業をやろうと考えたんですが。 北村さん もともとは、実は案外、否定的だったんです。昔から役所には「創業支援」みたいなものはあるんですね。ただ、役所の産業振興は普通、「できあがった企業」を相手にします。できあがっているからターゲットははっきりしている。しかし、これからビジネスを始めようという人はどこにいるのか分からないんですよ。「そういう仕事は手探りだし、始めてもモノにならないだろう」と最初の頃は思っていました。10年ぐらい前ですかね。なぜ変わったかはよく分からない(笑)。ただ、今、佐賀県には他の自治体からの視察も多いですが、だいたい、私が10年前に思っていたようなことを他の自治体さんもおっしゃるんです。先日も、視察に来た関東の方が「自分の県は東京に比べたら田舎なので、スタートアップとかやっても出てきませんよ。東京から誘致するしかなくて…」と言うんですね。でも、私達から見たらそちらの方が佐賀より断然、都会なんです。そこでもやれないなら、うちなんて話にならない(笑)。でも、実際にやってみた経験からすると、旗を揚げれば意外といろんな人たちが集まってきますし、地方だって捨てたもんじゃない。何がきっかけか覚えていませんが、5、6年前に、やってみるかという話になったんですね。「スタートアップをゼロからなんてないわ」ということと、もう一方で「IT産業の振興」はやっていたので、IT系のスタートアップ支援のようなことをまず、始めたわけです。森山さんがちょうどこの端境期にいた人で、やってみたら案外、こんな人がでてきた。であれば、しばらくやってみたら他にも出てくるんじゃないかというのでやってみたら、ご覧の通りです。なのでやってみるもんだなと。 やってみて思ったのは、こういうことを役所がやると、東京とか福岡はそうなんですが、ほぼほぼみんなITなんですよ。ところが佐賀はみんなやっていることが違う。この4人、みんなやっていることが違うでしょ。これは多分、田舎だからなんです。田舎はマーケットよりも課題の方に近いので、そこから見えてくるものをビジネスにするという方向感の方が掴みやすく、結果、多様なビジネスが芽吹きやすい。そこからさらに花が開くかどうかは別ですが、少なくともつぼみにはなる。そういう多様性は都会のスタートアップシーンではなかなか、見かけないと思います。もう少し時間がたち、皆さんが活躍するようになると、世間が「層が厚い」と言ってくれるかもしれません。そうなればしめたもんですね~というのが今のフェーズかと思っています。 Whyの深掘りで自分軸の大切さを知る ――皆さんは佐賀県庁産業DX・スタートアップ推進グループのプログラムにどんな期待を? 三田さん HowとかWhatを教えてもらえるものと思っていました。「どうしたらうまくいくのか」、「どう広げていくのか」を教えてもらえると思っていました。でも実際は、Why。Whyの深掘りができたというか、なぜやるのかをたくさん考える時間をいただけたなと。 北村さん 何でなんだよ、何でなんだよとむち打たれてましたもんね。 三田さん 地域貢献がやりたいのかとか。 北村さん そんなことを毎日やっていましたね。 ――Whyを問われ続けて、どうでしたか? 三田さん 「何でやるのか」、「何を実現したいのか」、「どうなりたいのか」の深掘りをするようになりました。以前は「人のために」、「地域のために」と考えていましたが、株式会社にして自分の事業としてやる以上は、自分軸で「自分がどうあるべきか」が大事なんだなと思い、「自分のビジョンに共感してくれる人と一緒にやっていく」という考えに変わりました。それでスッキリしたというか、周りにどう思われようと自分がどうあるべきか、自分がやるべきことに忠実になったと思います。 北村さん 昔は「島の人からこう言われたらどうしよう」とか、そんなことばかり言ってましたもんね。「そこを悩んでも仕方ないよ」という話をしましたね。ビジネスとして研ぎ澄まされました。 ――一方で巻き込むことも必要ですよね。 三田さん なので、アプローチが逆になったという感じです。最初は「皆さんのためにやっています」でしたが、「このビジョンを達成したいです、それに共感してくれる人は?」というようにアプローチが逆になったことで、むしろ外から共感していただけることが増えました。ビジネスコンテストに参加してみたら意外と評価をいただけた。先程の北村さんの話ではないですが、田舎でやると深く掘り下げることができるし、市場が近くにないのでどう遠くに届けるか、かえって大きなスケールで考えないといけないところもあります。プログラムに参加していろいろな人と出会えました。ビジネスを大きくしていくライバルでもあるけど、同志でもあると感じています。 北村さん ある都市部のスタートアップ界隈に出入りしている人と話していたら、そこのスタートアップコミュニティは嫌だと言うんですね。足の引っ張り合いが結構あると。それは都会のように人が多いコミュニティだと、かえって同じビジネスをやっている人達同士が集まりやすいからなんですね、たぶん。同じビジネスをやっていたら、他人を蹴落とすことが自分の利益になる。しかし、佐賀ではみんな違うことをやっているので、そうした足の引っ張り合いにはなりにくい。同期が違うビジネスをやっていて賞を取ったとか大きな案件を決めたとか、そういう競争はあるようですけどね。 三田さん そうですね、応援してるし、同じ悩みもあるし、、方向性は同じだし。 北村さん いやらしいところがなくて、競争できるというのがここにはあります。そこが面白い。 ――同じ業種はない方がいいんでしょうか? 北村さん あってもいいと思います。ただ、あまりに多くなってくると、例えば「同じ案件を目の前にぶら下げられたらどうなんだ」というのがありますし、役所にしても10社も20社もあると「公平性」を考えないといけないのでやりづらくなるところもあるでしょう。佐賀くらいの規模だとそういうことをあまり気にしなくていい。ちょうどいいくらいの規模と思います。 ――森山さんは県庁のプログラムに何を期待していましたか。 森山さん 起業したのが22歳の時でしたから、人間として未熟というのがベースとしてあって、社会に一度も出たことがない。社会を知らない中で、自分のやりたいことだけで突き進んできてしまった。北村さんたちに出会った時は、補助金をいただきに来たというのが最初でした。当時、太っ腹でいまだとありえない補助金を弊社はいただけた。2年間、それをいただきました。当時のプレゼンで僕はまあ、大それた事を言っていました。 北村さん 「俺が金融を変える」みたいな。 森山さん 事業としてはまともな評価はいただけていなかったと思いますが、人間性とか今後の成長という意味合いで関わってくださっていると後になって感じました。その後、2年ぐらいは県庁と関わってないんです。ところが、事業が広がってきたのに、ぜんぜん仲間はいないし、支援してくれる方もいない。「困りました」と恐る恐る北村さんを頼ったんですね。「Startup Connectに出してみたら」ということで、応募してみました。北村さんの叱咤激励を感じました。 三田さん 叱咤、叱咤あるよね!(笑)激励はあまりない(笑)。 北村さん 激励ばっかりだとやっぱり効かないって。 森山さん そこから僕は未来が見えるようになりました。まだまだ発展途上でマイナスみたいなところもあり、土日も含めて支援をいただいています。 課題投げられ、しこたま考えて解像度を上げる ――山本さんは? 山本さん 最初は2020年の「さがラボチャレンジカップ」というビジネスプランコンテストでした。誘われたので応募したのですが、書類で落とされて「何なんだ」と思いましたね。 三田さん 誘われたのに落とされた!(一同笑) 山本さん それがあって、「そういうものにはもう応募しない」と思っていました。その後、よろず支援拠点で働いているときに、「チャレンジしてみたら?」と言われたのですが、「去年落とされたので嫌です」と断りました。ただ、「そう言ってもらえるのならばやってみよう」とチャレンジしたんですね。さがラボチャレンジカップにもう1回出て、最終プレゼンまで行って、皆さんがしっかりと事業でプレゼンしている中、僕は「音無てらすでこういうことをやりたい」、「コミュニティが大切です」みたいなプレゼンでした。この時も落ちたのですが、楽しかったんですね。その時に、「アクセラレーションプログラムもあるから参加したら」と言われて参加したんです。行ってみたら、知識ないから、勉強すること全てが面白かった。課題を投げかけられ、しこたま考える。それを繰り返したので、音無てらすの解像度があがっていきました。この時、音無てらすは土地だけ買った状態で建物はまだ建っていませんでした。妄想でしかなかったです。どうやってこんな僕を支援するのか、それも難しいような状態です。アクセラがなかったら方向性が見えなかったと思います。ゆっくりしてもらえる空間ぐらいのイメージしかなかったんですが、来てもらった人にどういう価値を提供できるのか。自分がやりたいことで提供できる価値ですね。 北村さん 「あなたのためにやってあげます」だと、行き詰まったときに、「あなたのためにやっているんだから」と自分ではなく他人のせいにしてしまう。 ――ビジネスは人のためではありますが、自分もないとダメなのですね。 北村さん 他責と自責ということだと思うんですが、「あなたのためにやってあげています」だと、行き詰まったときに、「あなたのためにやってあげているので、あなたがやって下さい」という言い訳に陥りやすい。役所によくもちこまれるのが、「地域のためにやっているのでお金をください」というのがあります。そうではないんですね。「いいことをやっていればお金がもらえる」とか、「誰かが助けてくれる」ではないんです。そのこと自体を自分がやりたい。自分がやりたい未来、つくりたい未来に対して、周りにコミットしてもらうことなので、自分の責任というのがなければいけないんです。いいプロダクト、サービスがあり、「みんなのために良いと思うので使ってくれませんか?」というのは他人ごとになってしまっているので、壁にぶつかった時に乗り越えられない。壁にぶつかったときでも乗り越えられるような強さを持つには、まずは自分が軸にないといけないと思うんですね。ここはみんな言いますね。 實松さん 私もさがラボチャレンジカップで書類審査は通って、でも、プレゼンしたらダメだったんです。その時にアクセラを紹介してもらったのがきっかけで、参加しました。私はお花の先生で、唐津でただアトリエをやっているような人間だったので、アクセラで向き合ってもらえたのが本当にありがたかったです。いろいろなアドバイスをもらいながら、自分が本当にやりたいことを考えています。法人化も考えますが、「大切にしているものって何だろう」と考えたときに、法人にするのが一番いい選択なのか、このままの方がいいのか今だに悩んでいます。皆さんが挑戦している姿を見て刺激をいただき、悩んでいるときにアドバイスをもらえる環境があるのは本当に助かります。 ――どう考えるのか、その手法、そういうアドバイスがあるんですね。 實松さん そうですね。いろんなアイデアを出してもらえますし、考える選択肢を提供してもらっています。 北村さん 都会だとチャレンジしている人がたくさんいるので、自分からそういう人達が見えやすいのは事実なんです。でも、田舎だと孤独だと思うんですよ。例えば「お花の教室だけで終わらせたくない」と思っているような人は、身近にそんなにいないでしょう。でも、そうした時に、ここに来るといろんなことをやっている人が見えるのが良いところだと思うんです。プログラムでえられる知識、情報ももちろんいいのですが、そこに集まってきている人たちの相互の関係性、平たく言えば、コミュニティが大きいと思います。 山本さん コミュニティ、めっちゃ、でかいですね。 ――佐賀県庁は「佐賀から県外へ!世界へ!」という目標を掲げていますね。 北村さん 「東京とか福岡ばっかり見なくてもいいんじゃない」とか、「国内より先に海外に持っていった方がいいものもあると思う」とか、よく言ってます。例えば森山さんは「金融を変える」と言っていますが、これは国内の方が壁が厚く、外に行った方がいいかもしれない。あともう一つ、この国で言われているスタンダードなスタートアップ支援とか、創業支援をやっている限りは国内で止まるんじゃないかなとかも…いろいろ見ていると、今までの産業政策の延長で自治体は補助金行政的なものをメインにやっていることが多いんですが、スタートアップって、そういうことより以上にビジネスの中身を育てることが大事だし、起業家を育てるにも人は一人では育たないので、関係性とかコミュニティがすごく大事。スタートアップのエコシステムの本質的な部分はそういうところにあるのではないかなと考えています。もっとも、それを役所の仕事としてやるには普通の役所仕事の目線からしたら手間がかかるし、だから誰もなかなかやろうとしない。仕組みと器だけ用意して、「やっています」というのも多いです。でも、そうではなくて、やるんだったらきちんとやった方が良いし、きちんとしたのをやれば、時間はかかるかもしれないけど、案外、シリコンバレーになれるんじゃないか、というのはあります。やり始めてまだ5年ぐらいですが、別軸での世界へのアプローチはありかなと思っていて、これまでのセオリーの軸で競うつもりはないし、競っても結果が出ない。 世の中に新しい価値を提供するもの=スタートアップ ――ユニコーンを作り出そうというのは違うんですね。 北村さん そうそう。結果的にユニコーン企業が出ることがないとは言えないですが、目的にするのは違うと思います。「こんな世の中になったらいいな」というビジョンとか思いがあって、それをビジネスとして解決することの方が大事で、斬新で革新的であるに越したことはないですが、それがユニコーンなのかというと別なのかなと。典型的なユニコーンはITのプラットフォームとか、素材や基礎技術系ですね。でも、ユニコーンって、ビジネスをやる側とか、ユーザーの側とかより以上に、資金の出し手側の「一定の時間軸でキャピタルゲインを得なければならない」という都合から、「型」ができてしまっているようで面白くない。「Jカーブをきちんと描くようなもの以外はスタートアップビジネスでない」と言い出すと、ビジネスの幅がすごく狭くなってしまいます。でも、そうではないビジネスだからって、世の中を変える可能性がないとは限らない。人類が「スモールビジネスか、Jカーブか?」というお金の出し方しか知らないがために本当に価値のあるビジネスシードが埋もれてしまうことがあるのなら、それは残念な話で、役所が施策としてやるとするのなら、むしろここじゃないのかなと。 山本さん 珍獣です。 北村さん おっしゃる通り、珍獣なんですね。珍獣であることに社会的な意味はあって、それはそれでいいと思うんです。他がみんな向こうに行くんだったら、そういう幅の広さでチャンスを提供できる地域があってもいい。ただ、そこを頭から「佐賀はユニコーンとか全然興味ないです」と言ってしまうと、「自己満足でやっているだけだね」と言われてしまいます。なので、ユニコーンを目指せるところは目指すが、それだけが仕事ではないといったところだと思っています。。 山本さん スタートアップって成長するものだとしたら、私ははじかれます(笑)。でもこうして呼んでいただいているので、佐賀県のスタートアップの考え方は器がでかいというか、違うんだなと。 北村さん Jカーブを描くようなビジネスもスタートアップですが、それだけがスタートアップではないですよね。Jカーブありきだとやってしまいがちなのが、アプリ系やプラットフォーム系など既にマーケットが相当の確度であって、スケールが見えているものばかりを取り上げる、ということだったりするわけです。でも、じゃあそれらは山本さんや實松さんがやっていることと比べたときに、どちらが革新的なのかということですね。「面白いゲームをつくり、売れればいい」というのはビジネスとして革新的とは思えない。「Jカーブ=スタートアップ」というのはおかしいと思っていて、「世の中にビジネスとして新しい価値を提供するもの=スタートアップ」という定義であるべきではないでしょうか。 山本さん スッキリします! 北村さん だから、珍獣まで入っているんです(笑) ――實松さんは世界に、という野望はないのでしょうか? 實松さん ないわけではないですね~。販売のルートを作りたいといったことは考えています。 北村さん 實松さんが目指したいのは、教室を通じてやがて生徒さんが教える側になり、誤解を恐れずに言えば、自分のコピーを世界に広げていきたいんじゃないですか? 實松さん 将来的には協会を立ち上げて全国展開していきたいというのはありますが、師匠がいらっしゃって、まだ身動きが取れない状況です。その先生が引退されると、私が引き継ぐことになるとは思うんです。 北村さん きな臭くなってきたぞ(一同笑い) 實松さん そうなった時に協会を立ち上げて広げていきたい、全国展開していきたいというのはすごく思っています。 山本さん 實松さんはサーファーで、バックパッカーだったし、僕たちの想像とは違う人物だったというのが出てきてますね~。 實松さん でも、この界隈ではまだ全然殻を破れていないんですよ。スタートアップのアクセラに来たときも、分からないビジネス用語が飛び交っていて、居心地が悪かったです(笑)。ここにいていいんだろうかと。少しずつなれてきたというのはありますが、まだ殻は破れていません(笑)。 ――三田さんは将来的にどんな展開を? 三田さん 新しいジャンル、市場を開拓したいですね。それから扱っている島の素材が日本古来のものだったりするので、日本の素材を世に出していくとなると、おのずと世界かなと思っています。日本に古来の植物を使って化粧品を作ると、日本で好かれるのか、それとも日本らしい化粧品として海外に出る方がいいのか。売り先は東京や世界のオーガニック層。オーガニックが好きな人かなと。 北村さん その辺になると抽象的ですね。もっと解像度を上げていきましょうよ。 三田さん 私がオーガニックのいい商品に触れたのがロクシタンだったんですね。20年ぐらい前でした。外資系の美容部員だったときに、年に1回、フォーシーズンズホテルに泊まる研修がありました。会社のターゲットがそういう高級ホテルに泊まる人たちだったので。そこですごくいいオーガニックの商品に触れたという感動があって、私としてもクオリティーの高いものを出したいというのがありますかね。とてもラグジュアリーな空間にさせてくれる、そういう空間を皆さんにお届けしたいですね。 ――スタートアップ支援の佐賀型が見えてきた気がします。 北村さん 5年やってきて思うのは、仮説もなく計画もなく、ただ都会と同じ事をやっても面白くないので、「佐賀だったら何がいいのか」と考えてやってきました。「個にフォーカスして時間をかけて育てる」という形ができてきたかなと思っています。他の自治体から視察に来られると、「最初から計画されていたんですよね?」とか「5年計画だったんですよね?」と聞かれますが、「ないです!パッチワークです」と(笑)。ただ方向性やスタンス、問題意識はありますと。そういう問題意識のもとにパッチワークを繰り返してきて、プレイヤーも集まり、支援者も徐々に増えてきて、支援する側・される側の層が厚くなってきて、今のような形になっています。翻ってみて、確信も何もなくやってきましたが、佐賀県くらいの規模でスタートアップを考えるときに今のような考え方やアプローチは案外、間違っていないのかなと思っています。やってみるまで分からなかったし、躊躇している地域も多いですが、「躊躇しているのならばやってみればいいですよ」と私たちは言っています。ここは一歩先にいけているかなと思っています。
自治体の「常識」覆して進む佐賀県の起業家支援 横展開のカギは仕組み化とオープンイノベーション
佐賀県が取り組むスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」。佐賀県のスタートアップ育成や資金調達支援について調査研究活動を続けてきた熊田憲(くまた・さとし)・弘前大学人文社会科学部准教授は「自治体の常識を覆しながら進めてきた」と佐賀県の取り組みを評価する。全国からの視察も後を絶たない佐賀県の起業家支援の特徴や、他の自治体が参考にするにはどうすればいいのかなど、熊田准教授に話を聞いた。 聞き手・毎日みらい創造ラボ 永井大介 ――佐賀県の起業家支援の取り組みに出会った経緯は? 熊田さん 2017年、クラウドファンディングで資金を集める方法が広まり始めていたころ、私はクラウドファンディングの研究を始めました。地銀の動きを中心に調べていたのですが、腰を据えてやっている地銀が見つからない中、2021年に「佐賀県が本気でクラウドファンディングに取り組み、クラウドファンディングの成功率を上げている」という噂を聞き、佐賀県に連絡をして、取り組みを調べさせてもらったというのが最初の出会いでした。 クラウドファンディングに競争原理を導入 ――佐賀県が実施していたクラウドファンディングはどのような特徴があったのですか? 熊田さん 県と資金調達を専門職とするファンドレーザーが連携協定を結び、企業が行うクラウドファンディングの資金調達をサポートし、最終的に調達額の10~20%程度が佐賀県より支給される仕組みで、非常に画期的でした。 県が仲介役となり、挑戦したい企業とファンドレーザーを引き合わせるケースや、ファンドレーザー自身が県内の案件を掘り起こす場合もありました。この仕組みだと、ファンドレーザー間で競争が起きますし、報酬も結果に応じた「成果報酬」となります。 出典=熊田氏の論文、「 佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果 」より抜粋 普通に考えると、行政では年度始めに成功報酬分の予算を確保しておく必要があり、行政の性質を考えると、通常はこの予算を年度内に消化する必要があります。しかし、佐賀県ではこの部分にある程度の自由度があり、佐賀のためになることを優先させるべきとの認識がありました。 この自由度を認める柔軟さが、ファンドレーザーを競わせる仕組みを生み出していました。 非常に面白いし、今まであまり聞いたことがないので、さらには、クラウドファンディングの成功率の上昇といった成果に結びついていました。 出典=熊田氏の論文、「 佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果 」より抜粋 地方は都会とは異なり、金融機関やベンチャーキャピタルなどビジネスをサポートする人や組織は少ない。ファンドレーザーも例外ではなく、マーケットが大きな都会の方が、事業も商売になりやすい。そうすると地方では調達したくても、誰にも助けてもらえないという状況が出てきます。 現在、いくつもプログラムを走らせている佐賀県の起業家支援の取り組みですが、当時は試行錯誤の段階で、どうあるべきかを模索している時期でした。最初はチャレンジする方々の資金調達をどうするか、といった視点から始まったと思います。 県庁内イノベーターが活躍できる組織風土が佐賀県の成功の秘訣 ――佐賀県では産業労働部産業DX・スタートアップ推進グループが時に起業家にFacebook Messengerで直接アドバイスを送っています。ここまで起業家に寄り添った支援をする自治体は他にはありますか? 熊田さん 私の調べた範囲では他の自治体では聞いたことがありません。佐賀県では、全国に羽ばたく規模のスタートアップはまだ十分には育っていませんが、時間が経てば成功事例はいくつか出てくると思います。佐賀県の取り組みは、自治体の取り組みとしてモデルケースになりうる可能性を秘めていると考えます。 ただ、「どんな自治体でも佐賀県と全く同じことができるのか?」という疑問は残ります。他の自治体で業務の中に、産業DX・スタートアップ推進グループのような動きを、組み込むことができるのかといえば、なかなか難しいと思います。 佐賀県で起業家支援の取り組みを中心になって進めてきたのは、産業DX・スタートアップ総括監の北村和人さんです。北村さんのようなイノベータータイプの人物が、自分の能力を県庁という行政組織の中で発揮できることが、自治体という組織の性質を考えた時に、すごいことなのです。 北村さんのようなイノベータータイプの行政マンが全国の自治体に数多くいるとは思えないし、多分、そんなに人数もいらっしゃらないでしょう。 また、イノベーターが自治体の中にいたとしても、組織が硬直化していることが多く、佐賀県のようにイノベータータイプの行政マンが、自分の能力を発揮できる環境は少ないと思います。北村さんと一緒に働く、産業DX・スタートアップ推進グループのメンバーも含めて、「この人たちだからこそできた」「佐賀県庁だからこそできた」というのが、今の佐賀県の起業家支援の実情なのだと思います。 ただ、企業経営も同じですが、イノベーターがいる所でしかイノベーションを生み出せないとなれば、イノベーションの機会は非常に限られてしまいます。ごく一部の、天才的なイノベーターがいなければイノベーションを起こすことができないとなれば、そういう人がいない組織は打つ手はなくなってしまいます。 イノベーターがいない組織でイノベーションを生み出すには、「仕組み化」、「オープンイノベーション」が鍵を握ると考えます。 具体的には、組織が「起業家を支援する目的」といった本質的な部分をしっかりと組み立て、自分たちにできることは自分たちでやり、自分たちにできない部分は、オープンイノベーション的に、外部の専門家の知識を借りて実施するという方法です。 他の自治体でも、起業家支援に取り組んでいるケースは増えていますが、自治体が自分たちだけで抱え込んでしまってお手上げになったり、外部に丸投げしてしまい結果が出なかったりする自治体が多いと思います。自分たちにできることを明確にすることで、イノベーターがいない組織であっても光が見えてくるのではないでしょうか。 目標設定、連携マネジメント…起業家支援で自治体がやるべきこと ――自治体が自分たちでできることと外部組織にお願いすること、どのあたりで線引きするのが良いのでしょうか? 熊田さん どこからどこまでを線引きをするかは、ケースバイケースなので、「ここだ」と言い切れるものではないのですが、まずは、外部の知見を借りながらも、全体をしっかりとマネジメントすることが大切です。 自治体は民間企業ではないので、外部の民間企業と協業しながら、全体マネジメントをする事自体、得意ではないとは思うのですが、そこをどれだけきちんとコントロールできるのか、連携マネジメントができているかを自治体は問われていると思います。 オープンイノベーションで外部の民間企業と起業家支援プログラムを実施した場合、外部の民間企業が自分勝手に動けば、最終的な目的や目標がずれてしまう懸念があります。まずは自治体が最終目的を明確にして、最終目的に進むための枠組みを作り、最終目的にたどり着けるよう、参加する組織それぞれが連携することがマネジメントでは求められます。 ――産業DX・スタートアップ推進グループは、ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)を作り上げています。各プログラムで年度ごとの達成目標を見据えつつ、大きな目標として佐賀から世界に飛び出すスタートアップを作るということを、県庁と外部の事業者が目線をそろえています。 熊田さん MVVがしっかりと存在することで、オープンイノベーションで入ってくる外部組織にも「我々の最終目標はこれだから」と明示することができますし、外部組織もミッションから外れたことはできなくなる。 「これをやってください」とか「これはやってはダメです」という制度ではなくて、「このミッションに向かうために必要なことはやっていいですよ」という制度であれば、一時的にメリットが生まれるようなことでも、ミッションとは関係のないことであれば、「ミッションと外れるようなことは控える」流れにつながり、外部組織が「やらないこと」が明確になります。 地方自治体は国とは異なる「きめ細やかな」起業家支援を ――政府もスタートアップの育成に向けた5か年計画の原案をまとめ、スタートアップへの年間投資額を現在の約8000億円から2027年度に10兆円規模に引き上げ、評価額1000億円以上の未上場企業「ユニコーン」を100社に増やすことを目指しています。国がスタートアップ育成に舵を切る中で、地方自治体のスタートアップ支援はどのような形を目指すべきでしょうか? 熊田さん 国のスタートアップ支援は当然必要でしょうし、やらなければならないことだと思います。国という規模感を考えた時に、国でしかできないことがありますので、国がやらなければならないことに注力して頑張っていただきたい。 一方で、私が対象にしているような、極端な言い方かもしれませんが、どこにでもいる普通の人の発想や、ちょっとした工夫とか、そういうものまで「国が支援しろ」と言われても、国も「いや、そこまではできないよ」となると思います。 こうした地域の小さなイノベーションの芽は、地域でしか支援できません。こうしたものに目を配り、声を拾い上げて、伴走して、密にコミュニケーションを取る、まさに佐賀県がやってきたことだと思います。 その地域の中核産業がどういったもので、その強みがどこにあるかを知っているのは地域の人です。そうした前提を踏まえて、その地域でしかできないことを、きめ細かく支援していくことを地域ではやっていけばいいだろうし、国の支援が必要なほど大きく成長する事業は、地域では対応できないので、国の支援を受けてやってもらうイメージだと思います。 ただ、国の支援だけだと埋もれてしまうアイデアはたくさんあるし、アイデアがあるのにチャレンジもできない状態は地域として非常にもったいない。一番地域のことをよく知っている人たちが、「これはうまくいくのではないか」「地域の中でいろいろ波及効果もあるかもしれない」と目利きをして、支援する形がいいのではないでしょうか。 ただ、地域にはあまりお金がないので、クラウドファンディングでもほかの手段でも形は問いませんが、お金をなんとか引っ張ってきて、アイデアを試してみる。ダメだったら、諦める。こうして試す人がどんどん出てきて、トライアンドエラーができる地域になっていかないとダメで、昔と同じビジネスを昔と同じやり方でやっていくのでは、先細っていくのは目に見えています。 「公平性」「平等性」の壁を仕組みで乗り越えた佐賀県 ――イノベーションを生み出す環境作りという点でトライアンドエラーを誘発するために、ある程度の失敗は許容してもらえる心理的安全性も大切だと感じています。そういう意味でも、県民の方を見て、県の産業とか企業を見ている自治体の役割は非常に大きいのではないでしょうか。 熊田さん もともと、自治体の仕事にはオープンイノベーションのためのマネジメントなんてものはありませんでしたし、成功するかしないかを後押しすることも仕事ではなかったはずです。 自治体の仕事は、最終的には平等性や公平性に行き着きますし、特定の民間企業だけをこう支援していいのかという議論は必ず最終的には出てきてしまいます。そういう意味で、佐賀県の取り組みは、自治体の常識を覆しながら進んでいると感じますし、可能性を秘めてると思います。 ただ、公平性、平等性の議論で言えば、支援する特定の企業を公募し、審査プロセスの透明性を高めることで、「不平等だ」という指摘についても、「そんなことは無いのであなたも応募してください」と説明ができます。 平等性や公平性は仕組みで担保してることをオープンな形で示すことができれば、特定の企業の支援は自治体でも可能なのではないかと佐賀県の取り組みで感じます。 ある種、「平等性、公平性が担保されない」と、後ろ向きな自治体は、自分たちで仕組みを考えることができず、何も仕掛けないことが当たり前になっているのだと思います。今後、自治体の能力、実力で地域差は拡大していくのでないでしょうか。 自分たちのできる範囲でできることをやっていけばいいし、できないのであれば、できる人にやってもらえばいい。できる人が地域にいるのであれば、なるべく地域の人たちを使いつつ、地域にいないのであれば、地域の外から連れてくれば良い。そういう形で広げながら、組織間の関係性を保った上で、全員でなんとかしていこうという心構えが大切だと思います。閉塞感が強まる地方では、総合力で何とかするしかないでしょう。 戦後、日本が進めてきた、中央で集めて、地方に流すというやり方は終わったと感じていますが、今でも地方は待ってる人が多いのではないでしょうか。「いつかまたあのいい時代に戻るんじゃないか?」と幻想を抱いている方もいるかもしれませんが、戻りはしません。待ってる間にその地域はなくなってしまう。そんな時代なのだと思います。 厳しい言い方かもしれませんが、何もやらずに待っているだけで動かなければ、見捨てられます。少なくとも助けて欲しいのであれば「助けてくれ」と言わないといけないし、やりたいことがあれば「やりたい」と言わないといけない。 待っていて救世主が現れて、助けてくれることはもうないと思います。動いた、頑張ったという地域だけが残る可能性があり、頑張らない地域は衰退する運命にあると思います。 熊田憲 1966年宮城県仙台市生まれ。東京理科大学卒業後、石川島播磨重工業を経て、東北大学大学院を修了、研究職の道に。東北大、事業創造大学院大学などを経て、2016年4月から現職。新規事業支援等に関するクラウドファンディングの効果について研究。「佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果」「クラウドファンディングと地域イノベーション:ファンド・インキュベーション概念の探求的考察」など多数の論文を発表している。
Jカーブ成長を前提としない佐賀型起業家支援 日本社会に浸透し始めた「ゼブラ企業」との類似点
佐賀県のスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」は、ビジネスアイデア創出からプロモーションまで、6つの手厚い支援策を用意している。じっくり時間をかけてビジネスの中身を磨き上げるその姿勢は、短期間での急成長が必須とされるユニコーン企業だけではなく、より幅広い起業家の実情や課題に応え得るアプローチとして注目を浴びている。長期的な視点に立った起業家育成は、社会課題解決を目標とし、持続的繁栄を目指す「ゼブラ企業」と重なる点が多い。株式会社Zebras and Companyの共同創業者として「ゼブラ企業」の定着と「ローカル・ゼブラ」の普及に取り組む田淵良敬さんに「ゼブラ」の本質と地域発の事業創出について話を聞いた。 ――地域発で活躍をしている佐賀の起業家はまさにゼブラ企業になるのではということで今日はお話をうかがわせていただきます。 田淵さん 実は私の義理の父母が佐賀県出身です。そういう意味では縁深いですね。 ――Zebras and Companyの共同創業者で、代表取締役を務めていらっしゃいますが、どういう経緯で始められたのでしょうか。 田淵さん 私の経歴からお話しますと、約10年前からインパクト投資というものに関わってきました。2014年から15年ごろに、LGT Venture Philanthropyというリヒテンシュタインのロイヤルファミリーがやっていたインパクト投資ファンドに勤めて、15年に日本に戻ってソーシャル・インベストメント・パートナーズや社会変革推進財団で日本の社会起業家への投資や経営支援をしてきました。 やりがいもあったし、楽しかったのですが、同時に問題意識を持つようにもなりました。 日本では2010年前後くらいから、海外だともっと昔からスタートアップやベンチャーキャピタル(VC)が盛り上がりを見せて一大業界のようになりましたが、私が当時携わっていたインパクト投資の世界にも投資ファンドをやっていた人たちがたくさん入ってきました。 VCの手法は、簡単にいうとシリコンバレーにあるような企業に投資して、3年や5年といった短い期間に大きく成長させるというものです。あるポイントを過ぎると指数関数的に事業がスケールしてくる。よく言われるJカーブのように伸びて5年で上場するくらいのサイズ感になるので、それを狙って投資するわけです。 インパクト投資にもその考え方が持ち込まれましたが、世界中にユニコーンと言われる会社はたった1500社ぐらいしかない中で、インパクト投資にその手法を持ち込んでも、投資対象となる会社は限られてしまいます。 一方で、Jカーブのような成長はしないかもしれないけど、持続的な成長をしている社会起業家もいるわけです。自分の事業のステークホルダーにどういうインパクトを与えていくかと考えながら、事業を作る人たちです。資金供給側が見ている世界と、起業家や経営者の間には大きなギャップがある。事業の性質と資金の性質を合わせなければならない。これが、私が持った問題意識です。 そんなことを思っているころ、偶然の出会いがありました。ゼブラという概念はアメリカの女性4人が最初に作ったコンセプトなんですが、たまたま海外のカンファレンスで彼女たちと会う機会があったんです。私は是非日本でもと思い、彼女たちがやっている「Zebras Unite」の日本チャプターを作り、ゼブラの啓蒙を始めました。 図1 Zebras and CompanyのTheory of Change(TOC) これはTheory of Change(TOC)という、我々のビジョンに向かっていくステップみたいなものです(図1)。最初に始めた啓蒙が一番下に書かれていて、一番上の「優しく健やかで楽しい社会」を作りたいというビジョンに向かって取り組んでいるわけです。 今のステージは真ん中の赤紫の部分です。啓蒙の次は実務をしようということで、資金調達をして2021年にZebras and Companyという株式会社を立ち上げました。 ―― 「資金供給側が見ている世界と、起業家や経営者の間には違いがあり、資金の出し手側の事情が先に立ちすぎるとビジネスがゆがんでしまう。むしろ、事業の性質の側から資金の出し方をより多様なものにしていかなければならない」というのは、先に佐賀県の関係者と起業家との対談のなかでもでてきていました。 ところで、今はどんな事業をされているのですか。 田淵さん ゼブラ企業を社会に実装するということで、投資や経営支援をしています。「ゼブラ経営を理論化」と言っていますが、言語化、定量化、概念化といったことに取り組んでいます。 それを活用しながら、いろんな方たちとコラボレーションしたり、パートナーシップを結んだりして、社会に広まるようにしています。 最近、形になってきたのは政策です。2023年度骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)にゼブラ企業の推進が明記されました。それを受けて中小企業庁と「ローカル・ゼブラエコシステム」推進政策を検討し、2024年3月6日には基本方針と2024年度の実証事業について発表することができました。 今後はさらに上の段階として、我々が関わっていないところでも、ゼブラ経営を行いたいという人、そういう会社をサポートしたいという人が増えてくればと思います。特に、資金面で既存のハイリスクハイリターンの投資とは時間軸やリターンは違うかもしれないけれど、お金を出す意義があるということが広まってほしいです。 日本にフィットしたゼブラ企業の概念 ――ユニコーンは定義づけがはっきりしていますが、ゼブラ企業はどういう位置付けと考えたらよいでしょう。 田淵さん 我々が考えている四つの特徴があります。 1:事業成長を通じてより良い社会をつくることを目的としている 2:時間、クリエイティブ、コミュニティなど、多様な力を組み合わせる必要がある 3:長期的で包摂的な経営姿勢である 4:ビジョンが共有され、行動と一貫している ユニコーンは、時価総額が10億ドル以上で未上場という外形的基準があるんですが、ゼブラ企業についてはそこまではっきりした定義はしていません。「特徴」と言っています。外形的なことよりも、経営姿勢とかマインドセットを大事にしているからです。 ――ゼブラ企業が注目を浴びつつある背景はなんだと思いますか。 田淵さん 世の中のサステナビリティみたいな流れはあると思います。 私がやってきたインパクト投資もそうですし、ESGやSDGs、最近だとパーパス経営などいろいろな言葉がありますが、いわゆる行き過ぎた資本主義や株主至上主義みたいなものが見直されてきた中で、ゼブラ企業もその一つみたいな形で捉えられているのだと思います。 やってみて気づいたのですが、ゼブラ企業の考え方は日本にとてもフィットしていたのです。先ほどお示しした特徴を見ていただくと分かるのですが、実は日本企業、いわゆる老舗企業が持っている特徴や経営姿勢と合ってるんです。アメリカから輸入したコンセプトですが、日本ではすごくフィットして広がっているということで、世界からも注目されています。政策に取り入れられた国は他にあまりないですしね。 ――ローカル・ゼブラが国の政策に入ったという話でしたが、全国の地方自治体もスタートアップ支援を活発化させています。こうした動きは起業家が育つのに寄与するでしょうか。エコシステムとして地域に定着するでしょうか。 田淵さん 一口でスタートアップ支援といっても、いろんな支援があるので、例えばフィンテックをやっているようなザ・スタートアップ、ユニコーンを何社か生み出しましょうみたいな内閣府の政策に合わせた施策を打ち出している地方自治体も結構あります。 一方で、そういう支援策もやっているけれども、本当に自分の地域にユニコーンっているのって内心思っている人たちもいます。ゼブラ企業だったらいるかも、というのは結構言われますね。 国としてはユニコーンのようなスタートアップを後押しするということでやってきましたが、東京などの都会とかだったらまだしも、その政策がどの地域にも一様に当てはまるとは限らないわけです。だんだんみんなそれに気づいてきて、自治体の支援にも多様性が出てきました。 上場は手段 地域にとっての最適が重要 ――佐賀県のスタートアップ支援は先駆的な取り組みだということで他県からも視察に来られています。「Jカーブ自体を否定するわけではないけど、そうした成長だけが唯一ではない」ということを支援の軸にしているので、Zebras and Companyと考え方が通底していますね。 田淵さん 似ていますね。我々も、言い方には気をつけていますが、ユニコーンやJカーブを否定しているわけではないんです。ただ、それを「前提としない」という言い方をしています。それが合うビジネスの方たちにとっては、VCはとても心強い味方になるわけです。同じ目標に向かって走ってくれて、お金も出してもらえるわけですから。 ただ、どんなビジネスもみんな上場しなきゃいけませんとか、Jカーブするということを前提にしてしまうと、手段と目的が入れ替わってしまいますよね。あくまでも上場は手段です。 どちらかというと、適材適所、多様性みたいな話ですね。まさに佐賀県さんがやってらっしゃるみたいに、両方あっていいと思うんですが、上場だけじゃないよねっていうのが重要なんだと思います。 ――これからの地方でのスタートアップ支援はゼブラ的なところに軸足が向かっていくのでしょうか。 田淵さん 内閣府がユニコーンを作ろうと言っているからそれに合わせて、というのは所与の条件ではないと思うんです。自分の地域にどっちが合っているか、どういう政策が合っているかをまさに考えるべきです。そもそもどんな地域を作りたいかというところでしょうね。それとその地域の現状を考えた上でどれが最適なのかを選んでいくということです。どの地域にも当てはまる政策はないわけですし、東京と地方は当然違う。いかに自分たちで考えるかっていうことが重要だと思います。 ビジョン掲げて仲間を作る ――利益追求型の企業は、利益が基準になるので経営面ではある意味分かりやすいです。一方で長期的な視野で社会性を優先させていく企業は、収益性などの業績の指標がおろそかになり、結果的に経営に失敗する可能性もあります。特に地方で起業する上では、人的資源や機会創出の面で都会に比べるとハンデがあるので、佐賀県ではそこを埋めようと支援しています。ゼブラ企業が地方で持続的な経営をするためにはどんな工夫が必要ですか。 田淵さん ゼブラ企業の経営はすごく複雑ですよね。利益追求型はシンプルだけど、それでも経営は難しい。ゼブラ企業の場合は、さらに社会的な軸が一つ増えるのでより難しくなるのはその通りです。これをやれば絶対にうまくいくというものはないので、無数の工夫をしなければなりません。 あえて言うと、特に地域ではいかに仲間を増やせるかが大事だと思います。 仲間は企業にとってリソースになります。我々にも、いろいろな形で協力してくれる仲間がいて、時間やお金を提供してくれています。たくさんの仲間の中から5社ほどが投資してくれています。 もちろん、戦略を作ったり、事業を作ったりするのは大事ですが、まずはリソースサイドをいかに充実させるかが大事だと思います。リソースがあれば打ち手が増えるので、自分たちの仮説も検証できて、成功確率が上がってくる。そうすると事業が出来てくるし、売上が伸びていく。こういう循環を作れるかが重要ではないでしょうか。 ――仲間作りとひとことで言っても大変ですよね。 田淵さん 難しいです。仲間を作るときに必要なのは、地域のビジョンとか思想なんですね。我々の言葉では、社会的インパクトと言い換えられるかもしれない。 社会的インパクトを掲げ、可視化して世に見せるのは、仲間を作るのにすごく大きな役割を持ちます。それを見て共感してくれて求心力が出てくる。集まった人たちがリソースになっていく。それは企業にとっても自治体にとってもそうなんだと思います。だから手段を考える前に、何をしたいという思いがあるかが重要なのです。 社会的インパクトと経営の両立 ――ゼブラ企業は、社会貢献などに目標があって利益優先ではない分、利益を目指さなくていいという言い訳にもなりかねないと思います。せっかくゼブラ企業に対して出資をしようという流れができつつあるのに、潰れる会社ばかりだと資金の流れが止まってしまい、当初の目標である社会課題の解決も遠のきかねないですよね。経営との両立が必要というマインドを広げていくことが必要ですね。 田淵さん その通りだと思います。難しいとは思いますが、だからこそ自分たちも含めて支援者がいるんだと思います。我々も投資先に何年かけてもいいよ、インパクトも何でもいいよ、というやり方はしていません。 投資するときには財務的なところも含めて目標を作り、そこに至るための戦略も作ってサポートしていきます。会社の持続性を無視して潰れられては困るので、そういうマインドセットを持った方たちが増えていくことが大事ですし、それを支援していくことも大事だと思っています。 ――最後に佐賀の地域から起業を目指す皆さんへのアドバイスをいただけますか。 田淵さん 起業されるということは、自分のやりたいことやパッションを持っているはずなので、それをかなえるために柔軟に考えてもらいたいですね。中小企業庁が始める実証事業もまさにそういうことを後押しするためのお金なので、ぜひ使ってほしいです。 ユニコーンでもゼブラでも、既存の枠がこうだから、それに自分たちの事業を当てはめるのではなくて、自分が本当にやりたいことは何なのかということから逆算して、どういう手段を使えばそれが達成されるのかということを柔軟に考えて欲しいです。佐賀県の取り組みもそうですが、探せば世の中にリソースはあるのでうまく使ってもらいたいと思います。 田淵 良敬 日商岩井株式会社(現双日株式会社)、米国ボーイング社を経て、LGT Venture Philanthropyやソーシャル・インベストメント・パートナーズで国内外のインパクト投資に従事。 その後、アメリカの4人の女性起業家が組織したZebras Uniteが提唱した「ゼブラ」の概念に共感し、Tokyo Zebras Uniteを創業。2021年に株式会社Zebras and Companyを共同創業する。 Zebras and Company 共同創業者 / 代表取締役、米国Zebras Unite理事、Tokyo Zebras Unite 共同創設者 / 代表理事。